マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:ニスの役割を教えてください。

:ヴァイオリンのニスについては、神秘的なことを含めて多くの情報が流れています。中には、「ニスこそがヴァイオリンの音の秘密」と言い切っているものもあるほどです。従って多くの方が、ニスについて興味を持っていることでしょう。
 私の考えでは、ニス自体が、他の部分と比べて特に神秘的だとかは思いません。ニスも、他の部分と同じく、ある意味においては「明解」で、そしてある意味においては「奥深い」のです。この感覚を説明することは難しいものがあります。あえて言えば、「円」について考えてください。実にシンプルな図形ですが、これをフリーハンドで描こうと思ったら、並大抵の技術では描けません。「明解」であり、そして「奥深い」。ニスだけに限らず、これがヴァイオリンの本質です。

 さて話が逸れてしまいましたが、ニスの役割は大きく分けると2つに分けることができます。「楽器の保護効果」と、「音響的効果」です。

ニスの楽器保護効果
 ニスの役割として一番重要なことは、楽器の保護効果だと私は思います。もしも楽器がニスを塗らない「白木」のままだったとしたら、おそらくヴァイオリンは数10年くらいでボロボロになってしまうことでしょう。
 というのは、ニスを塗らない木材というのは、想像以上に汗や汚れを吸収します。ヴァイオリンはほんの数mmの板からできていますから、いったん水分を吸収してしまった部分は変形してしまうのです。こうなるとお手上げです。楽器の構造は極端に弱くなってしまうのです。
 また、水分からの保護だけではなく、単純な意味で、ニスには木材表面の強度を増すという働きもあります。わずか数十ミクロンのニスの層があるだけで、木材はずいぶんと強くなります。こうすることによって、弓を誤ってぶつけてしまった場合や、楽器を横たえて置いた場合などの木材の傷み具合はまるで違うのです。
ニスの音響的効果
 これまでの非科学的な情報の中には、「ニスを塗ることによって、ヴァイオリンの音はより大きくなる」といったものもあります。しかしこれはナンセンスです。というのは、基本的にはヴァイオリンはニスを塗らない方が、大きな音は出るのです。しかし問題なのは、その「音質」です。
 ヴァイオリンという楽器は、その発音の方法から、非常に高い周波数成分の出やすい楽器なのです。悪く言えば耳障りな楽器です。ここで重要になってくるのは、いかに人間にとって聴き心地の良い周波数帯域だけを選び出して発音させるかなのです。これに一役かっているのが「ニス」です。
 良質ヴァイオリン製作では、基本的には低域から広域までまんべんなく発音する楽器を作ります。しかしこのままでは「耳障りな高周波成分」が多いので、ニスの「フィルター」を掛けるのです。こうすることで、低音から高音まで素直に伸びた音がし、かつ、耳障りな超(?)高音が出ない楽器が作れるわけです。
良いニスとは?
 さて、ここまでの話で、ニスの役割が分かっていただけたかと思います。そして同時に、良いニスの要素もある程度見えてきたのではないでしょうか?

 ニスの音響的効果は、「フィルター」の役割と書きました。このためには、ニスは硬すぎてはいけないのです。例えば、量産品の楽器の場合のニス塗りは、スプレーを使うことも多いです。この方法では、どうしても柔らかなニスは使用できません。従って必然的に、硬めのニスになってしまうわけです。こうすると、その音はどうしても艶のないギスギスした音になってしまいがちです。
 一方、ニスが柔らかければよいというものでもありません。柔らかなニスは、ベトベトしてしまい、すぐに傷んでしまいます。そして同時に、その「保護効果」も無くなってしまいます。

 さて、結論です。良いニスとは、「程良い硬さ」のニスです(これ以外にも重要なニス要素はありますが)。これを演奏者側で確実に見分けることは不可能に近いでしょう。従ってその良否を見分けるためには、その他の「作品の質」を参考にしたり、または技術者に相談するしかないと思います。
 しかし、ニスの質を全く見分けられないというわけではありませ。最後に簡単なポイントを上げておきますので、参考にしてください。
 ニスが細かく剥がれ落ちやすい場合は、ニスが硬すぎることが要因となっている場合が多いです。このようなニスの場合には、楽器を少しぶつけただけでもニスがポロポロと剥がれ落ちてしまいます。
 一方、柔らかすぎるニスの場合には、いつまでもベトベトしていたり、またはニスが寄ってしまうことがあります。ケースの布の跡が付いてしまうこともありますが、これはある程度はしょうがないことでしょう。

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