弓の性能を測定する実験

2014年1月13日 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

「良い音」の核心

 私は常に「良い音」とは何かを考えています。以前、無量塔藏六氏の東京ヴァイオリン製作学校で勉強中だった頃は、楽器本体の音響研究に没頭していました。ところが時間が経つにつれて、「楽器本体」から「全ての要素を含む総合体」として性能を考える事の重要性が判ってきたのです。そしてさらにその中でも「弓の性能」が良い音の核心を占めるということが判りました。
 そのようなわけで、私は楽器製作者であるにも関わらず、「楽器」についてではなく、「弓の性能の理論」の説明に多くの時間を費やしています。なぜならば「良い弓」無しに、「良い楽器」を語ることは全く不可能(ナンセンス)だからなのです。  つい先日、あるプロの演奏者が私の「弓の性能の理論」について説明を受けに来ました。そして熱心に話を聞いていきました。残念ながら、上手な演奏技術のプロの演奏者でさえ、理論的な事を知っている人は皆無に近いのです(それは音楽大学でそのような授業を受けていないので、ある意味しかたないことです)。だから演奏の上手なプロの演奏者(または音大生)さえも、酷い弓を購入して(もちろんそれが良い物だと信じて疑いません)、本人の才能を開花させないままの人が多いのです。本人が思っている以上に、自分自身の能力はさらに上だということを知らないのです。実に勿体ないことです。
 このように、「弓の性能の理論の理解」と「性能の良い弓(道具)を手に入れること」が重要なのです。ここが間違ってしまうと、その後の全てが間違った方向へスタートしてしまうからです(間違った方向へスタートしてしまう、その仕組みさえも説明できます)。
 蛇足になりますが、性能の弓を使うと次のような効能が確実に出ます。
・弓先まで力(圧力)が抜けないで弾ける。
・弓がプルプル震えない。
・力まないで弾けるので、弾き疲れしない(人によっては肩がこらない)。
・これまで出にくかった音が出るようになる(ヴォルフ音も若干緩和される)。
・さらに高度な楽器の調整が可能になる。
・遠くまで通る音が出るようになる。
・楽器の底まで鳴らせることが出来る。
・強弱が自然と(無意識に)出せるようになり、結果的に音楽の表現力がこれまでと段違いに増す。

 

 

弓の性能を客観的に理解し、提示する必要性

 このように良い音の「核心」とも言えるほどの弓の性能ですが、その要素が何なのか、そしてその要素をどのように客観的に理解すべきなのか、私は色々な角度から調べてきたつもりです。そして「弓竿の剛性」の要素が特に重要であるという結論に達しました。もちろん、それ以外にも「重さ」とか「バランス(重心だけでなく、力のモーメントも含む)」とか「反りのタイプ」とかの要素もありますが、その中でも際だって重要なのが「弓竿の剛性」なのです。私が弓を仕入れるときにも、特にこの部分を意識して選別しています。
 通常私が弓竿の剛性を調べる方法の1つとして、弓毛を弓竿の中心で6.5mmくらいの幅に張って、「クイクイ」と圧力をかけてみる方法があります。この調べ方は実際の演奏の感覚に近いので、私がお客様にも勧める弓の性能のチェック方法です。  私の中ではこれまでの経験から、その「クイクイ」の感覚と、実際の弓竿の性能との関連性がある程度確立されています。しかし、それが本当に正しいのか? または、他人に客観的にどうのように説明したら良いのか? その客観的な根拠を提示する必要性を感じていたのです。そこで今回、この手法を感覚的にではなく、科学的に客観的に測定することを実行(実験)することにしました。

 

圧力の測定方法と計測装置

 測定には「荷重-変位測定対応のフォースゲージユニット」を利用します。この測定器は、力をかけた距離(変位)とその時の力(荷重)の値を連続的に測定して、グラフ化することが出来ます。弓の毛を張った状態で、弓竿を通常演奏するのとは逆向きに、逆さまに固定して、弓竿の中央部分の馬毛に力を加えることで、演奏の時に感じる「弓竿の腰の強さ」を測定すること出来るはずです。
 ・フォースゲージ IMADA ZTA-5N(0~5N)
 ・フォースゲージ IMADA ZTA-50N(0~50N)
 ・IMADA 荷重-変位測定ユニットFSA-0.5K2


 

馬毛の張り具合

 弓の腰の強さを計測する上で一番重要なのは、弓の毛の張り具合を全ての測定弓で一定に張ることです。そこで、弓竿~馬毛の裏面までの距離を6.5mmの張り具合に調整し(6.5mm幅の板状のゲージを作り、それを差し込んで馬毛と弓竿の距離を6.5mmに微調整します)、フォースゲージで馬毛を上から押してその圧力を測定することで、弓竿の剛性を測定することにしました。

 ちなみに馬毛の張り具合が6.5mmと中途半端なのは、私のこれまでの経験から、弓竿の剛性を調べるときにはその位がベストの張り具合であるという経験値です。特別科学的根拠があるというわけではありません(今後の試行錯誤で7mmとかに変更になるかもしれません)。なお、この「6.5mm」の距離は皆さんの演奏時にお勧めしているという寸法というわけではないので注意してください。


弓竿の支持位置

 弓竿の支持(固定)位置は、本来ならば下図のように、実際の演奏時に手で持つ位置を支持すべきだと思います。しかしこの固定方法では、固定具の仕組みが複雑になるのと、フォースゲージで弓毛に圧力をかけたときに弓竿がたわんで(それが実際の特性なのですが)測定が難しくなります。大きな不都合が無いのであれば、弓竿がたわまないように弓竿の中央部分で支えて、弓毛に圧力をかけて測定した方が簡単であり、そして確実です。そこでまずは、両者の測定値にどのように違いができるのかを調べてみました。




 

 

2種類の強さの弓の測定実験

 まずは試験的に、工房の試奏用弓として常備している手持ちの「とても強い性能の高い弓」と「弓竿の腰が弱い弓」の2本のヴァイオリン弓の特性を測定してみることにしました。弓の固定(支持)方法は、上記の2種類の両方法で測定しました(下写真は「中央支持」の時の写真です)。
 ちなみに測定器のテーブル上に置かれている白色の細長い板が「6.5mm幅のゲージ」です。このゲージがピッタリ差し込まれるように、馬毛の張り具合を調整します。




上グラフが測定結果です。縦軸が馬毛を押す力の強さで、横軸はフォースゲージの先端が馬毛を押し始めてからの移動距離です。力の単位は正式には「N(ニュートン)」で測定すべきなのですが、一般的な感覚の方が実用的と思い、「g(グラム)」の変換値を用いることにしました。

 弓竿の「腰がとても強い弓」を測定したのが、青色と緑色のグラフで、「弱い弓」の測定グラフが赤色と黒色です。
 共に、フロッシュを支えた状態で馬毛に圧力をかけたときには、弓竿がしなるために(固定具もしなっている?)、弓の中央部分を固定して測定したときよりも変位量(フォースゲージで押す距離)が大きいことが判ります。一方、弓竿を中央部分で支えている場合には、弓竿は固定されていて動きませんので、変位量は共に6.5mmくらいです。
 このようにフロッシュを支える支持方法と、弓竿の中心部分を支える支持方法では変位量が異なるのですが、重要な力の大きさは、両支持方法で共にほぼ同じ(正確にはフロッシュ部分で支えた方が大きい値となります)と言えます。そこで今後は弓の中央部分を支えて測定する方法で計測することにします。

 

実験結果とまとめ

 弓竿の腰が強い弓と弱い弓で、その数値が"182.3g"と"108.8g"とで1.7倍もの差が出ています。この差は自体はある程度予想通りでしたが、今回の実験によってカーブにも若干の違いが出ているのを確認できました。強い弓は荷重と変位が正比例的(直線的)なグラフであるのに対して、弱い弓はカーブした曲線のグラフをしています。これは弓に圧力をかけたときに、強い弓は、弱い圧力であっても弱い圧力なりに繊細に感じ取ることが出来る(コントロール出来る)のに対して、弱い弓だとちょっと圧力をかけただけで「弓のつぶれ」が急激に来てしまうことを表しています。すなわち、(今回の実験だけで結論づけるのは早急ですが)弱い弓ほどより弱く感じてしまうのです。
 私の身体にしっかり染みこんでいるこれら2本のヴァイオリン弓の竿の「強さの感覚」を、今回のテスト測定によって初めて客観的に知ることが出来ました。この実測値を見て特に驚くことはありませんが、実測値が出ることによって、後日の「記録(記憶)」や「比較」、「提示」ができるようになるのです。これが「感覚」と「実測」の決定的な違いです。

 

近い将来の目標と、懸念点

  業務用マイクロフォンに1本ごとに実測周波数特性グラフが添付されているように、弓にも「変位と荷重の特性グラフ」を添付できたらと考えています。これによって各弓の説明を客観的にできるようになり、さらにお客様側も安心して判断ができるようになると思うのです。
 しかし懸念点もあります。というのは、いくら高精度で弓竿の剛性を測定したとしても、それで弓の性能が全て把握できるほど単純な甘い世界ではありません。
 同様の事は「重さ」にも言えるのですが、弓の「重さ」の数値を知りたがる人ほど、実際の感覚が鈍い人なのです。自分でその感覚が判らない人ほど「目に見える数値」を欲しがるのです。例え弓の重さが数値的に同じであっても、実際に感じる重さは弓1本ごとにまるで違います。本来ならば重さの数値(~g)などを見ずに、自分が実際に弾いた重さの感覚だけを信じるべきなのです。
 同じ事は、今回私が行おうとしている事にも言えて、その測定数値を過大評価して弓を判断する人が出てしまうかもしれないというのが、私が一番心配しているところです。いずれにせよ、(自分で言うのも何ですが)意味のある試みだとは自負しています。



 
 

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