ストラディヴァリウスの化学

Joseph Nagyvary,Texas A&M University

翻訳 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木 朗

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 ヴィブラートをかけた音色の完璧なまでに美しい、そのヴァイオリンという楽器は奥深く、これ以上の楽器はないというほどに私を魅了する。その風変わりな形の共鳴箱による複雑さの影響から、長い間に渡って演奏における興味や、その音色の科学的研究の対象として人々の心を引きつけてきたのだ。例えばガリレオの手紙の中には、彼か1638年自宅拘禁中だった時に、クレモナからのヴァイオリンが来るのを待ち遠しく思っていた事が書かれている。アインシュタインはヴァイオリンの愛好家で、彼の生涯を通してヴァイオリンを演奏して楽しんだ。ドイツの化学者であったRichard Kuhnは、1938年にカロテノイドとビタミンの研究でノーベル賞を受けた人であるが、彼はまたヴァイオリニストとしても通した。
 ヴァイオリンは偉大な文化でもあり、そしてまた科学的な謎でもある。それはシンプルそのものであり、他の古い弦楽器と一緒に16世紀の半ば頃に、アンドレア アマティ(Andrea Amati)などのイタリアの楽器製作者達によって改良されていったものなのである。そしてそれは2のイタリア人によって頂点を極めた。彼らが18世紀初頭のに現れた、アントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari)とジュゼッペ・グァルネリ(Guiseppe Guarneri)である。
 物理学者や数学者たちは、もっぱら共鳴周波数を計算で導き出している。しかし多くのトップクラスのヴァイオリニスト達は、その様な科学的研究によって作り出した新しいヴァイオリンで、聴衆を感動されられるとは思っていないようだ。実際その様な楽器の音は質的に良くなかったと考えられるために、約100年間に及ぶ自然な選択によって、生き残れなかったのだ。ヴァイオリンは未だに、人間の目や耳による主観的判断によって評価されているのである。
 最近の研究で、イタリアの古い有名なヴァイオリンの音響特性を調べた結果がある。これらのヴァイオリンは、板の表面の少しの部分で、微生物による状態の悪化が認められるが、対に剥ぎ合わさった堅い木と、それを覆っている宝石のように美しいニスはどの楽器も同じくらい素晴らしい。
 古いタイプのヴァイオリンの形の特徴には、普通関連性がある。主に振動する部分は、表板であるか、それはたいてい木目のまっすぐに通った、一対の蝦夷松によって作られており、一方、裏板にはたいてい一対の楓が用いられる。これらの板が完成した楽器の音色を決めるのだ。板の外側は薄くニスが塗られている。ヴァイオリンの組成物は明らかに多くの化学的過程を含んでいるが、それらの研究は全くされていないといって良く、されていてもそれは19世紀の化学のレベルでの話である。16世紀の化学者達が、色々な楽器において、化学的組成物か音色の決定の役割を果たしている事を知っていたのは、驚くに値する。Andreas Libavius著の、1594年に出版された錬金術の本には「音色は化学者によって作り出される。」と書いてある。

木材の処理
 いかにヴァイオリンの音響的特徴が、木材の質によって決定付けられるとはいっても、頭の中だけで想像する特別な木の”tone Wood(ヴァイオリン用木材)”が実際にどのような物かは、依然として定義づけられていないのである。いったいどの様なスプルース(蝦夷松)や楓であろうか。多くの近代のヴァイオリン製作者達は、10年から50年位にかけて、自然のままで素直に成長した、純粋な木が良い物であると信じている。いかなる化学的手法によって人工的に育てられた木はその寿命を縮めてしまい、その結果としてそれによって作られた楽器も早くいたんでしまうと、彼らは強く主張する。
 また様々な人工的な乾燥が習慣的に行われているが、それらの内のいくつかの方法では、木にひび割れが生じたり、そりが起きてしまう危険性か高い。水素化合物のカリウムや過マンガン酸カリウム等の色々な化学物質はこれまで、木材の染色に使われてきた。またカリウム・シリカート水溶液は、リグニン−セルロース−ヘミセルロース間の弱い結合力を強くする木材添加剤として使われた。これらのような多くの方法が木材の化学的構造にダメージを与え、その結果として寿命を短くしてしまっていたのだ。
 しかしながら、弱い化学物質をじょうずに使う事によって、美しい音色を引き出す事かできるのだ。ヴァイオリンは、木材の弾性力の荒さによって分類された、自然のままの木で作られる。この弾性力の差は「音楽」における主要周波数帯の(2〜6kHz)に現れる幾つかのモードを左右する。またそれは「雑音」の音域(6〜12kHz)のモードにも影響を及ぼし、それによって音が甲高くなったり、ハイピッチになったりする。木の持っている自然の張力を和らげるために、いぶし小屋の中でいぶす方法が昔から伝わっている。その煙の中には低い濃度のアンモニアが混ざっており、また湿度もおおよそ90%になっている。それらによって木の中の水素化合物がエステル化したり、リグニンに変化が起こったり、その様に無数の化学的変化が起こるのである。この方法は木のひび割れを防止するのに効果的な方法である。
 近年William Fultonによって昔の方法の応用が提案された。彼は以前宇宙船の技師をやっていたがそれをやめ、現在Violin Society of Americaで活躍している。Fultonはヴァイオリンの雑音成分を減らすために、木を2〜3週間アンモニアガスの充満したタンクの中にいれて置くと、傷んでしまう事を指摘した。−余談になるが木が黄金色になるのは、リグニンの酸化か原因である。
 ヴァイオリンに使われる木は、ヨーロッパでは沸騰水に浸されて処理される。ガス状のアンモニア処理とは違い、木材を煮る事は、木材内部の張力を殺すことなく必要のない物質を蒸発させたり、溶解させたりして取り除く事ができるのだ。最も重要なことは、スプルースや楓の中のペクチン酸とへミセルロースの量が25〜33%増える事である。hygroscopicを適切に除去する事は、木の含水率を下げる事につながる。それによって木の弾性力(Youngによって提案された、折り曲げまたは引っ張りに対する力の測定基準)が大きくなるのだ。
 弾性力は重要な概念である。もしかりに木に弾性力がなかったならば、板は駒の30-1bの圧力によって、折り曲がってしまうだろう。その他の特徴をつけ加えると、弾性力の増加は、板を伝わる振動の速度を速くし、またヴァイオリンの板をより薄く作る事を可能にする。それによって大きな音が出せるようになるのだ。典型的な木は、木目と同じ向きの方が、木目と直角方向よりも大きな弾性力を持つ。それは好ましい事で、楽器の保存状態を強くする。一方、木のダンピングファクターは、板の振動のためには好ましくない。しかし音色はより澄み、輪郭もはっきりする。
 低い密度と低い含水準は、原理的にではあるが、好ましい縦方向の弾性力の増加を生む。しかもそれによって木の細胞壁が傷んだり、それらの相互結合力が弱くなったりの影響はほとんどないのだ。私自身の限られた実験の中では、木材を数時間煮沸する事によって、木の縦方向の弾性力が変化することはなかった。しかしヴァイオリン完成時に置ける雑音成分は減らす事かできた。一方、12時間ほどの極端な間煮沸した板から作られたヴァイオリンの音は、音楽の周波数帯の中で重要な3〜5kHzのピークが平坦に減ってしまい、「はりのない音(ホールの隅で聞いていると、他の楽器に負けてしまって聞こえてこないような音)」になる。
 まとめると、木を短い時間煮沸する事は雑音成分の減少を促進させるが、弾性力は増加させない。しかし例えば、もし弾性力の要素が、骨の粉やキチンを沸騰した水の中に加える事によって生まれることができるとしたら、楽器の力をより高める事ができる。
 よりソフトでより簡単な処理方法は、木を水の中にで貯木しているときの微生物による調節である。これは高温を使う事の危険性なしに、良い結果を期待できる。17〜18世紀にそのことは、木材を運搬するさいに川を使った結果として、自然発生的に起こった。
 北部イタリアの偉大なヴァイオリン製作者達はその処理によって利益を得た。彼らは北部の森で木材を選び、伐採し、ヴェニスまで川を使って下って行ったと考えられる。そして彼らが使用するまで、池の様な場所に浮かしておいたのだろう。その様にした木材は広範囲に渡ってバクテリアやかびが付く。それは細胞をふさいでしまうか、または木材の長い管状の細胞壁に穴を開けてしまう働きをすると考えられる。穴は微生物の酵素によるものであるか、その穴から水が細胞膜や他の表面に沿って進入し、2つの細胞間には水が充満する。またヘミセルロースも同じ様になる。
 この結果、乾燥していて無菌の時の状態よりも浸透性は50-fold高くなる。しかし木材の機械的強度は変わらず、大まかな変化は起こらない。木材が自然乾燥するとき、細胞壁に開いてある気孔はふさがる。海水に浸されて、より高い浸透性を持つ木材は、気孔が開いているので空気が細胞間を自由に移動できるのである。それによって内部の圧力は増加する事がない。つけ加えると、木材の全体に置ける弾性力とダンピング特性は、自然な状態を保つ事ができる。なぜならば、ニスや浸透物が気孔の奥深くまで入り込む事ができるからである。
 18世紀のイタリアのヴァイオリン職人達はこの方法を知っていたのだろうか。イタリアの古いヴァイオリンを分析すると、微生物か偉大なヴァイオリンを作るのに役立っている事がわかる。しかし不幸にも、その様な楽器の本当に信頼できる木は、たまにしか手に入れる事ができない。とにかく私がこれまで手に入れる事かできた、6つの楽器から取れたスプルースの破片は、Stradivar、Guarneri、Joannes Baptista Guadagnini、Franncesco Ruggeriであるが、それらを電子顕微鏡によって検証すると、カビの糸状体かサンプルのあちこちにおいて見る車ができた。またサンプルの内いくつかにバクテリアの破片も見る事ができた。多くの開いたままの、または壊れた気孔は新しいヴァイオリンにおける木よりも、古い6つのサンプルの細胞壁の方がより多く、また多くの鉱物の付着や、炭酸カルシウム、粘土等も見られた。6つのサンプルにおいて塩は非常に多く見つける事ができるが、その範囲が10〜50の範囲にばらついている。この事は木材がずっと海水に漬けておかれなかった事を意味している。
 これらの分析結果は、他の考えられる処理方法においても当てはまる。例えばストラディヴァリ夫人が作った、サフラン若鳥スープがその鍵なのかも知れない。しかし真実はその中の一つなのだ。もし18世紀のクレモナまたはブレシア、ヴェニスの、他の楽器の木を集める事ができるのなら、微生物による影響の、より正確な究明か行えるであろう。細胞壁において開いたままの、または壊れてしまっている気孔に付いで、また鉱物の付着に付いてより詳しく考察できる。これまでの全く足りないサンプルでは、これ以上はデモンストレーションの域を出る事かできないのだ。
 それから10年経った今、私はヴァイオリン製作家と共同で30挺のヴァイオリンについて、木材の煮沸作用や酵素による影響力の、音に対する影響力を調べる事によって、イタリア人たちが木材を水の中で貯蔵し、その結果として空気中で貯蔵した物よりも音か良くなったという私の仮説を再確認した。その論理の大まかな流れは、樹液が木材の細胞の中で乾燥してくると気孔は閉じ、樹液を再び溶かそうとする。水による処理方の鍵となる事柄は浸透圧である。これによって木の中に入っているニスの強度が増し、木とニスの長所を結合させる。これがヴァイオリンの質を高める原因であると私は信じている。
ヴァイオリンのニス
 ニスはヴァイオリンの素晴らしい外観を決める一つの要因である。そして楽器の外観というのは、その音色の美しさ以上に楽器の値段を左右するようだ。元々ニスの目的は、他の家具などと同じように、ヴァイオリンの木を汚れなどから保護するために用いられた。ニス層のその耐久性や、力強さの機械的意味がとても重要なのだ。またニスは人を引きつける色、透明度、輝きなどの視覚的効果も持っている。ニスは製作の上でも、比較的簡単に塗れて簡単に乾かす事ができるのだ。
 つけ加えると、ニスは木の弾性力によって伝わった振動を保持するのにも適している。例えば、ヴァイオリンの表板に使われるスプルースのヤング率(弾性力の測定基準)は縦方向に約12GPa、横方向に1.2GPaである。もしニスのヤング率が1GPa以下であったとすると柔らかすぎるために、ニス層が音を減衰させてしまう。その様にしなやか過ぎるニスはダンピング作用か大きくなり、低減周波数だけが強調されてしまうであろう。もし逆にニスの層が強すぎるのならば(ヤング率で約2GPa)、高域周波数帯の雑音成分が強調されてしまう。しかしその他のたくさんのねじれ定数や、ダンピングファクターについても考慮にいれなければならない。
 ニスによる絵画は古くから伝わっており、その材料に付いでも多くの記録が見つかっている。Galenはアマニ油と鉱物による乾燥剤が、紀元後2世紀にすでに使われていた事を記述しており、Theophilusは12世紀には修道士達が樹脂を使っていたと書いている。Marco Poloの旅行は新世界を発見したが、それと同時に外国の珍しいたくさんのゴムや樹脂をヨーロッパに紹介したのであった。ヴェニス、フィレンツェ、パドゥバの図書館の16世紀の記録を調べると、たくさんのニスの記述が明確にされている。
 コパール、サンダラック、マスティック、松ヤニ、camphor等の天然樹脂のほとんどは、多くのterpeneの混ぜ合わせによって構成されている。lacはシェラックを作るときに用いるが、それは昆虫の生理分泌物から取れる樹脂の重合体であり、自分を守るために使われている。また別の構成要素である琥珀(amber)は化石性の樹脂には溶解しないので、強制的に砕いて溶かして使用する。その他にdraagon's blood(赤)、aloe(茶色)、gamboge(黄色)などの色々な色の樹脂も使われる。
 ヴァイオリン製作者達は、ヴァイオリンに使うニスをその溶媒によってアルコールニスとオイルニスとに分類している。アルコールニスは不揮発性のオイルとは異なり、速く乾燥する。いずれにせよそれらのニスは最終的に透明に、そして美しく輝く。ニス塗り行程の第一段階では目止めが行われるか、その木材内部まで染み込んだニスは、木の細胞と結びつく。オイルニスの溶媒には、たいていテレピン油や灯油等の中性溶媒か使われる。それに乾燥油であるアマニ油や胡桃油が加えられる。なぜならばニスが乾いたときにお互いを結び付ける相互作用は、乾燥油において存在するからである。オイルニスは非常に粘りけがあり、アルコールニスよりも耐久性がある。
 現代のヴァイオリン製作者達は彼らの好みによって、アルコールニス派とオイルニス派とに同じくらいの割合で分かれている。その扱い易さ、素晴らしい輝き、耐久性等しばしばオイルニスの方に分があるとも思える。色々なニスの音響学的考察は、J.S.Shellengによってなされた。彼はニスをガラスの上に塗って研究を行ったが、彼の結論は、ニスのヴァイオリンの音への影響力は小さいという否定的ものであった。
 これはヴァイオリン製作において「ニスは必要悪」という事を指していることになる。アメリカのヴァイオリン製作者のCarleen Maley Hutchinsはハーバードの物理学者Frederick Saundersと共に弦楽器の音響研究を行った。その成果の一つに目止剤とニスについての研究かあるが、その中で楽器への悪影響の可能性をも述べている。しかしそうであっても、ニスを塗ることによる悪影響を初めから考慮して、表板と裏板のトーンを調整すればよいと彼女は主張している。ニスの状態の変化は塗ってから2年間は続くので、新しく塗られた楽器の真の評価は数年後に行われるべきであると彼女はつけ加えている。ヴァイオリン製作者のほとんどは、ヴァイオリンの音質の鍵となるのは板のキャラクターであると強く主張し、また無傷の外観も重要視している。これは私の主張する木材の化学的特徴や、ニスの化学的特徴を重要視する考えとはくいちがっている。
 一方、1902年にストラディヴァリの伝記を書いたヒル兄弟は、ストラディヴァリウスの音質の秘密は、そのニスに大きく起因すると発表した。それについて私がこれまでヴァイオリンの板単体や、ヴァイオリン全体について化学的に研究してきたことから言えば、アルミニウムで作った鈴を銀の鈴の音色に変えるのに等しく、不可能に思えるのだ。
 ストラディヴァリは別の木でできた家具などにも同じニスを使ったと考えられる。19世紀中頃のイギリスの作家のCharles Readeは、ストラディヴァリのオリジナルニスは元々もっと色が濃くて、透明度も少なかったと言っている。Readeはストラディヴァリか数層のオイルニスの他に、dragon's bloodを溶かしたアルコールニスを後から塗ったと主張するのだ。
 また一方で、Latvianのヴァイオリン製作家M.R.Zemitisは1977年の彼の著書「ヴァイオリンのニスとその色」の中で、オイルで溶かした琥珀のニスは、古いイタリアのヴァイオリン製作者達によって多く使われたと書いている。Geary BaeseとJoseph Curtineは同時代のアメリカの製作家であるか、彼らは17世紀のクレモナのヴァイオリンニスの記録の写本を持っているが、その中には琥珀を1に対してアマニ油を3入れる溶解方法が記されている。彼らはこのニスを下塗りに使い、その上からマスティック1に対して深い赤色の顔料を含んだアマニ油3の割合で作った、色の着いたニスを重ねた。
 Zemitisはまた、ストラディヴァリのニスの謎について「ストラディヴァリのニスにおける光の屈折、反射は宝石のそれと同じ原理による。」とも述べている。別の研究者の、アメリカの化学者Joseph Michelmanはイタリアの古いヴァイオリンの鉱物破片を迫った。その結果それらは可溶性のアルミニウム、鉄、バリウムを含んだ樹脂等を含んでいることかわかってきた。いずれにせよこれらのニスは依然としで複雑であるが、常に同種の一つの仕組みによって存在したとしている。一方私はそれに対して、古いイタリアの楽器のニスは、二つの異なった仕組みを持っているという結論を持った。
 これまで長い間省みられなかった、18世紀から19世紀初頭の幾種類かのニスの処方は、実際、次のような重大な構成要素の言葉も多く教えてくれた。ガラスの粉(二酸化シリコン)、白硫酸(カルシウムと硫黄の化合物)、蟹の眼または卵の殻(炭酸石灰)そして磁器、琥珀の粉等。もしこれらの鉱物要素がとても小さく砕かれていたのならば一先の波長よりも一それらの光学特性により、Zemitisが言ったように宝石において起こる効果と同じ物が見られるはずだ。
 これらの古いニスの処方は、それらの光学特性による原因以外についての、興味深いこともたくさんある。鉱物要素はニスの中に見られるか、それは結果的にニスの固い層を作り、最終的にヴァイオリン全体の重要な弾性力を作り出す。素晴らしいオールドヴァイオリンの、鐘のような歯切れの良い音の立ち上がりは、際だった特徴の一つであるが、それはニスの構成要素の沈澱物による影響と説明される。
 18世紀のイタリアのヴァイオリンのニスのサンプルは、手にいれるのが難しい。ほとんどのヴァイオリンは、当時のオリジナルニスがほんの少ししか残っていないか、または全くなくなってしまっているのだ。それはこれまでの度重なる修理のためである。それによってたいていは、オリジナルニスに似てはいるかシェラックか現代の混合物によって薄められてしまうのだ。ほとんど無傷な楽器もいくつか残っているが、その様な楽器の所有者は、たとえほんの少しでも彼らの高価な楽器を犠牲にすることはしない。
 私はこれまでヴェニス製のヴィオラと、1660年頃のクレモナの製作家が作った、4つのチェロのニスのサンプルについて調査してきた。顕微鏡の下で、極端にもろいヴェネチアン・ニスを見ると、非常に大きな結晶構造物と、非結晶構造物の両方の物質を見ることができた。またニスの約50%はメタノールやアセトン、トルエンに溶解しない非常に小さな物質で、その大きさは1〜2μmであった。500にも及ぶX−線スペクトルを使った実験では異なった22種類の鉱物要素を発見できた。そのなかで多かった物は石灰質、水晶(またはガラス)、長石、そして石膏であった。またgarnrt、rutile、argentite等の宝石類も見ることができた。
 二つのクレモナのニスは非常に小さな物質を含んでおり、その数は膨大で、大きさは1μm以下であった。また所々に非結晶物質を見ることもできた。電子顕微鏡ではニスの50〜70%の空間が、その様な物質で占められていることがわかったのだ。残りの30%はニスに解けてしまった物である。残る二つのクレモナのニスについても同じ様なことは言えるが、他のニスよりももっと細かい物質を含んでいた。しかしそれは後の修理のためと考えられる。 オイルニスはとても細かい地面に含まれている鉱物と、部分的に解けた琥珀の粉を含んでいる。そこでまず第一に、職人の技術でこれらの細かい粉を作り出すこと−これは難しい仕事である一おそらく中くらいまで砕くために、ガラスの粉が使われたであろう。
 最も重要なのは、これらのニスの構成要素が伝えられ、音響上より有益に使われることである。古いニスは、現代の重合体やセメントとよく似ている。ニスの積層物間の相互作用が原因により、立体構造的に並び、その結果としてヴァイオリンの板は劇的にヤング率を増加させる。この様にニスは、板の振動の音響曲振る舞いを左右する重要な決定要因なのである。重い水晶の類は、高い周波数を吸収し易いので、ヴァイオリンの雑音帯域を抑えることが可能となるであろう。
 イタリアの古いヴァイオリンの化学的解明は、結論を出すにはまだ物足りなく、スケッチの段階といえる。当時のクレモナのヴァイオリン製作者達は、たとえそれが彼ら自身のニスであったとしても、我々が発見したこれらのことは知らなかったであろう。その様な結合物の音響曲振る舞いは、それぞれの地方の薬剤師(当時としては「化学者」)の鉱物に対する知識、錬金術師の秘伝等の様々な要因によって少しずつ違ったのだろう。−彼らはヴァイオリン製作者よりも専門的知識を持っていた。従ってストラディヴァリが彼のニスの次の二つの重要な点を、意識的に作り出したとはいえないだろう。−柔らかく、乾燥した浸透性のある木と、固い構成のニス−これらのニスは彼のたくさんの楽器に塗られていった。ストラディヴァリはヴァイオリンの製作以上のことは、今の我々より知らなかったのかもしれない。彼は丁度選良く、本当に素晴らしいニスに巡り会っただけなのかのしれない。
 これまでに述べてきた事柄が音響特性の構造を作り上げる。150年前のあるヴァイオリン製作家は水の中での木材の弱い浸透圧と、弾性力のあるニスとの相互作用を利用した。ほんの少し発酵した木材と、柔らかいニスとを用いる試みが近年されたか、その結果は楽器の輝きがなくなってしまったようだ。
 私は10年の歳月をかけて、30挺の微生物を利用した木材で作ったヴァイオリンで研究を行ってきたが、最初の数年間はニスが柔らか過ぎて失敗ばかりしていた。そこで酢で溶かしたキチン(小エビの殻から取れる)をニスの中にれ、この問題点を解決した。1984年以来私は、ガラスの粉を入れた8種類の異なったニスを試してきたが、それはいち早く数人の若い演奏家達によって受け入れられたのである。これらのヴァイオリンの特徴はその俊敏さにあり、その上数ヵ月弾き込むことによって、よりいっそう雑音成分を低く抑えることができる。このことからストラディヴァリの作ったヴァイオリンは、おそらく、それらが生まれた当初から、今日における素晴らしい音質を保っていたという結論がでてくるのだ。
 ヴァイオリン製作における概念は、構造学的事柄と同じくらいに、化学的概念が基礎となっているのだ。我々は木材やニスを細胞的、分子的レベルで考える必要かある。楽器の音響的特徴を決定する、構造力学上の18位の数の力学定数を最適な方向へ持っていくことか可能であるが、これまでの伝統的製作でヴァイオリンの曲面を削っていてはこれ以上のことは無理なのである。
 この丹念な化学的手法による探求は、非常に時間がかかったが、いくつかの新しいヴァイオリンを創り出すことに成功した。それは雑音成分の小さな音を出したのだ。