マイスターのQ&A
ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
Q:ヴァイオリン族の楽器が、他の楽器に比べて寿命が長いのはなぜでしょうか?
A:確かに、ストラディヴァリウスなどの名器が300年以上現役で使用されているのに対して、ピアノや金管楽器などの他の楽器の寿命はせいぜい100年止まりのようです。私の知る限りでは、これはヴァイオリン族のみが持つ大きな特徴です。このような特殊なヴァイオリン族に対して、よく、「神秘的」などという安っぽい表現もされますが、ヴァイオリン族の素晴らしさは、そのような安直な一言で片づけるべきではないと私は考えています。
さてヴァイオリン族がなぜ寿命が長いのかを理論的に書いてみましょう。
木材の素晴らしさ
- 材質の性能向上
- 全ての製品は何らかの材質で作られています。そして普通は、その材質の性能は下がることはあっても上がることはありません。
それに対して、良質木材は乾燥による内部含水率の減少やセルロースの結晶化が原因で、強度はより上がるのです。そしてさらに質量は軽くなるために、音響特性は上がります。これは一般的な特徴からすると、驚異的なことです(もちろんこのような木材とはいえ、ある程度の期間で性能は下がっていくことは確かです)。これだけでも、ヴァイオリン族の寿命が金管楽器よりも長いという理由も分かっていただけるのではないでしょうか。
- 修理の利く材質
- しかし違いはこれだけではありません。それは木材が「修理の利く材質」だからなのです。例えば金属を張り合わせようとしても、金属自体が均質でありすぎるために、接ぎ合わせた部分が馴染まないのです。そして結局は、その部分に力が掛かってしまい、そこが破損します。また、継ぎ合わせた部分が見えてしまい、見栄えも悪くなってしまいます。
一方で木材の場合には、木材の材質自体にむらがあるために、修理をした部分が「特異な箇所」とならないのです。従って、後日その部分に力が掛かってしまうということはありません(もちろん良い修理の場合です)。
また、視覚的意味合いからも、木材は「修理が利きやすい」のです。それは、木材に繊維が通っているので、それに沿って木材同士を接着することによって、接着した部分が全く見えなくなります。これは金管楽器ではまねのできないことです。
- ニカワ
- また木材の場合には、ニカワを使って接着するのですが、このニカワが実に優れていています。乾いて固まる過程において、じっくりと木材の繊維に染み込むことによって、木材の接着断面を引き寄せて密着させるのです。この効果によって、木材同士の接着面は、肉眼では見えないほどの完璧なものとすることができます。これは他の化学接着剤にはとうてい真似ができません。
それだけではなく、ニカワの場合には、修理などではがしたい時に、水によってきれいに、木材を傷めること無しにはがすことができます。従って、オリジナルの楽器が傷みにくいのです。
余談になりますが、以前、ある有名接着剤メーカーに相談に行ったところ、そこの技術者さえもニカワについて絶賛していたくらいなのです(もちろん、一般的な用途では化学接着剤の方が素晴らしいのは今更説明する必要はないでしょう)。
もしもヴァイオリンが、ニカワを使わない製作なり修理を行ったならば、その寿命は激減することでしょう。これは安物の楽器においてよく見かけます。
- 擦弦楽器からくるメリット
- ヴァイオリンがその他の楽器に比べて長持ちするのは、先に書いたように木材、ニカワを使用しているからですが、それだけの理由によりません。同じ木材を使用している弦楽器でも、ギターなどの寿命はヴァイオリンほどは長くありません。この理由はヴァイオリンが強制振動発音による楽器だからなのです。
ほとんどの楽器は、板を叩いたり弦をはじいたりする自由振動(調和振動)の原理によって発音します。そして、そのような楽器の場合には、板が平板なほど音は良く出るのです。一番分かりやすい例がギターやピアノ(響板は平面です)ですね(正確には、完全な平板ではないのですが)。
一方ヴァイオリンの場合には、弓によって強制的に板を連続振動させます。このために、板は平板でなくても音量が出るのです。このために湾曲した独特の板が用いられるわけです。余談ですが、この「湾曲」は、より張りのある(高倍音の出ている)音を出すためです。
さて、他の楽器が平板であるのに対して、ヴァイオリンが湾曲した板であるメリットは、弦の張力(ヴァイオリンでさえ30s弱の力が掛かっています)に対して板が歪まないということなのです。ギターやピアノなどは、「平板」を求めるが故に、もしも響板の平面性が崩れたときには、音に張りが無くなってしまうのです。これがヴァイオリンの場合でしたら、この時に修理が利くのですが、歪んでしまった平面を元通りの(健康的な)平面に直すことは不可能に近いのです。
実際には上記の楽器らも完全な平面でなく、「張り(ヴァイオリンでいえばバスバーのような)」が付けられているのです。従ってそれを修正し直すことによってある程度は修理はできますが、それはまた別の話しです。
同じ擦弦楽器でも、ヴァイオリンよりも響板の隆起が少ないガンバ族は、ヴァイオリンほど修理が利きにくいものです。とくにフラットな裏板などは、とても難しいです。
このように、ヴァイオリン族の寿命がなぜ長いのか、理解していただけたと思います。しかしこれには大切な条件が付いています。すなわち、ヴァイオリン族ならば、どの楽器でも300年もの寿命があるわけではないのです。
・良質な材料
・良質な製作
・良質な取り扱い(演奏も含む)
・良質な修理技術
の全ての条件を満たして、初めて言えることなのです。このことは「Q&A」の最初に掲載している「楽器の性能」を参考にしてください。
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