マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:弦楽器は購入した価格で下取りに出せるのでしょうか?

A:この様に思っている方はずいぶんと多いようです。それどころか、時間が経つほどに楽器は高くなると思っている方も多いのです。そして確かに、楽器店の中にも「最低でもこの購入価格で下取りしますよ!」と、平然と言うところも少なくないのです。事実、私自身もこの仕事に就く前の学生アマチュア演奏者だった頃に、そのような言葉を実際に何度か耳にしました。しかし、これを当然の事として受け止めていると、楽器を理解する最も基礎的で重要な部分を勘違いしてしまいます。そして良い楽器を選ぶ目が養われなくなってしまうのです。
 まず最初に自覚しなければならない事があります。それは弦楽器だからといって、年と共にその価値(価格)が高くなるということは基本的にはないということです。というのは、これを勘違いしている人がこのご質問のような勘違いをしているからです。
 弦楽器の価格(正当な意味での)は、物価の変動分を補正して考えた場合、一般的な楽器の場合には年と共に下がっていきます。そして良質な楽器の場合のみ、状態が良いものに限って、ほとんど下がらないのです。まれに付加価値の付いたものだけが、若干上がる程度といってもよいでしょう。しかしこれは下取り価格の事ではありません。下取り価格とは、その価格から修理・調整代金、楽器店側の利益、販売リスク、税金などの諸費用を差し引いたものだからです。従って購入価格よりも下取り価格が上がるということは、数年〜20年くらいの期間においては、まずあり得ないのです。事実、付加価値の付いたストラディヴァリなどでさえ、たとえ2億円で仕入れたものを2億円で売ろうとしても(もちろんこれでは楽器店側は大損します)、バブルのような異常な時期は別として、そう簡単に売れるものではないのです。これは逆に言えば、ご質問のような甘い下取りの話はあり得ないということなのです。
 正直なところ、私は「下取り価格」がいくらだとか、そのようなことにはあまり興味がありません。それは下取りに出す側と、購入する楽器店側の個人的な問題だからです。しかし、それが影響して、次に購入する楽器や店に並べられる楽器の価格設定が変わってくるということに関しては、大きな憤りと不満を持ってしまいます。「楽器の価格とは、それ自体が持つ性能に対して付けられるべき」というのが私の考えだからです。今回は「下取り価格」を冷静に観察することによって、その逆に、次に購入する楽器の「適切な価格」を考えてみましょう。

下取り価格の種類
 まず最初に説明すべき事は、「下取り価格」には二種類があるということです。ひとつめは「正当な価格による下取り価格」で、もうひとつは「価格操作による下取り価格」です。もちろん後者の「価格操作による・・・」とはいえ、違法の行為ではありませんから、全面的に非難すべき事ではありません。
正当な価格による下取り価格
 さて、「正当な価格による下取り価格」とはどのようなものかといいますと、簡単に言えば、「この楽器を現金で買い取ってください」と言って提示される額です。もしも楽器の所有者が、今回の質問のように、購入した値段で下取りしてくれる事を当然と思っていた場合には、びっくりするぐらい安い額が提示されることでしょう。というのも当然の話です。業者側としては、その楽器を買い取ることによって、当然利益に繋がらなければなりません。一方、下取りした楽器を修理し直して、そして売り(そう簡単には売れないかもしれません)、そして利益を得るためには、下取り料金はどうしてもそのように低い額となってしまうのです。これが業者側の当然の感覚なのです。
 また、その上に楽器の所有者は、自分の楽器の価格を実際に購入した価格ではなく、「定価(仮の希望推定価格)」として理解しています。ところがこの「定価」とは、業者が下取りするときには何の意味も持ちません。業者とは、売るときには「定価」を全面的に出すのに、買い取るときには純粋に楽器本来の性能を評価するものだからです。この意味からも、下取り提示価格に対して自分の想像とのギャップを感じるのです。しかしこれは一般常識からすると当然のことです。例えば新車で購入した高級車でも、どんなに丁寧に使っていても、わずか半年や一年使っていただけで、その下取り(買い取り)価格はとても安くなってしまうという常識からも、理解していただけるでしょう。しかしこれが現実であり、そうでない弦楽器界の常識(?)の方が異常なのです。
価格操作による下取り価格
 弦楽器において「下取り」といった場合には、ほとんどがこちらを指します。これは、その楽器店にてより高価な楽器に買い換えるときのみに通用する論理です。例えば、もしも楽器店が現在使っている楽器を「以前購入した価格で下取りします」ということを言った場合には、それは先のごく常識的な考え方からすると、「次の楽器の価格に上乗せしていますよ」と言っている事に等しいのです。もちろん、私はこの事が悪いことだと言っているのではありませんので、絶対に誤解しないでください。というのは、先にも述べましたように、売る側と販売する側の価格的な同意があれば、それは誰にも迷惑をかけないからです。
 しかし、購入した楽器の値段には先の「下取りの価格操作分」が含まれているという自覚が必要になります。楽器を新に購入した人は、自分の購入した楽器を少しでも高価なもの(性能の高いもの)と思いたい気持ちは分からないわけではありません。しかし冷静に、客観的に考えて、その「価格操作分」を割り引いて考えることによって、より楽器が見えてくるのです。またそのように考えていないと、後日に第三者に見てもらったり、また第三者に売るときに、お互いに大きな誤解とトラブルが生まれる可能性が高いからです。これは高価な楽器においてほど起こりうる事なのです。
ユーザーが自覚すべき事
 このようにある意味では業者側の内幕をわざわざ書いたのは、それが皆さんに「素直で正しい目」を持って、そして最終的に良い楽器を選んでほしいからなのです。または自分の楽器を正しく理解することによって、楽器とのより親密な関係を築いてほしいからなのです。これは私がホームページに記載している一貫した気持ちです。
さて、まず皆さんが自覚しなければならないのは、楽器を売買(買い換え)することによって、金銭的な意味で自分が得する(損しない)という都合のいい話は無いということです。売買すればするほど業者側に利益があり、自分の出費は覚悟しなければなりません。具体的に言えば、楽器を買い換えれば買い換えるほど、楽器の質は下がってしまう傾向にあるのです。グレードアップをするためには、よほど大きな追加投資が必要であるという自覚が必要なのです。これは冷静に考えると当然のことであり、そうでない方が社会の一般常識からして怪しいのです。変な欲があっては、スタートライン自体を間違ってしまうからです。
 このような自覚を持つことで、楽器を見る「素直で正しい目」が生まれ、それによって結果的に良い楽器を手に入れることができるのです。基本的には、楽器を簡単な気持ちで買い換えるべきではありません。そしてどうしても買い換えるときには、まずは楽器を購入することと、現在持っている楽器を売ることを別々に考えるべきなのです。そうした方が、純粋な意味で新たな楽器を選ぶことができるからです。

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