マイスターのQ&A
2010年9月22日 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
Q:調整って必要なんですか?
A:私にとってはあまりにも当たり前の事なので、これまであえて「マイスターのQ&A」に掲載しようとも思わなかったのですが、実はこのような質問をこれまでに何度も受けているのです。実は今日もそのような質問を受けたばかりです。もちろん、もちろん必要に決まっています。「調整なしに楽器は成り立たない」と言い切っても良いほど、とても重要な事なのです。ある意味、最も重要な事かもしれません(参考 マイスターのQ&A No.177「Q:楽器の性能の要素」)。
「修理」と「調整」
皆さんは「修理」と「調整」を分けて考えていると思います。確かに大きな意味で言えばそれは正しいです。「修理」とは「壊れている部分を直す事」で、「調整」とは「やった方が良いが、まあ、やらなくても良いかな?」くらいに考えているのではないでしょうか? しかし、実際にはこのように簡単に割り切れるものではなく、これらの「修理」と「調整」の間はグラデーションのように連続的につながっているのです。
例えば「今は壊れてはいないが、このまま放っておけば壊れてしまう状態」とか、本人が知らないで間違った使い方をしていたり・・。ちゃんとした高度な調整なしに、「この楽器はこんな物だと」思い込んで長い期間弾いていたりしていることも多いです。当然のことながら、そのような楽器で一生懸命練習をしても、その効果はしれています。「調整」をなめてかかると、結局は自分が損をしてしまうのです。
「調整」をすることによるメリット
私の工房にはたくさんのお客様がいらっしゃるのですが、「まめに工房にいらっしゃっている方ほど、楽器の状態は良い」と言い切れます。それは私が工房で楽器に魔法をかけるからではないのです(私は魔法の技術は持っていません)。きちんとした理由が楽器をそうさせるのです。全ての物事は因果関係の上に成り立っているからです。
さて「調整をすること」すなわち「工房にいらっしゃる事」によるメリットの要因を書いてみましょう。◎本人が知らない内に楽器の状態が悪化しているのを指摘し、修正できる。毎日使っている本人だからこそ、自分の楽器の変化に気づかないものなのです。
◎例えば、一見簡単に思える「弦の交換」だけでも、一般の楽器所有者と高度な技術を持っている(ここが重要)技術者とのレベル差はまるで違います。「弦の交換」という作業だけでなく、それ以外にもたくさんの着眼ポイントがあるのです。もちろんその時に必要であれば、有料・無料の操作を行います。
◎「調整のために工房に行く」という行為は「時間」も「お金」もかかります。さらに「楽器を預ける日程調整」もしなければなりません。このような事を面倒くさく思わないその「前向きの意識」こそが、「自分の楽器を見る目(楽器の変化を感じる目)」を養い、それは楽器の状態を維持することにつながり、そして最終的に「音」にも現れます。
◎調整のために工房に来ることによって、自分の知らない知識や情報を得ることができます。
◎調整に頻繁に行くことによって、技術者と高い信頼関係を築くことができます。また、それが目標でもあります。
◎頻繁にくるお客の楽器は、我々技術者側の頭にも残ります。そうすると、「前回はこうだったから・・・」と、より高度な作業やアドバイスが可能になるのです。
◎前向きのお客には、面倒でも、より高度なアドバイスをします。例えば、たまにしか来ないお客には、「***したほうが良いのでは?」とはあまり言いません。なぜなら、「それは望んでいないだろうな?」と思ってしまうからです。望んでいないお客に、お客の考えてもいないような調整や商品を説明し、説得させることはとても面倒だからなのです。従ってほよど壊れている部分でもなければ、ついつい「まあ、これで良いのでは?」となってしまいます。
一方、工房に頻繁に来るお客や、前向き(積極的)なお客には、色々な調整の可能性を説明したり、お金がかかってでも良い商品・部品を勧めたりします。すなわち、自然と「より高度なレベル」の会話につながるのです。もちろん、そんな所有者の楽器の状態が悪いわけはありません。◎調整に行くことは、自分自身を否定して(怒って)もらえる場でもあるのです。これはとても重要な事です。もちろん、何が何でも否定されるわけでも、怒られるわけでもありません。明らかに間違った事をしている(勘違いをしている)部分に関してです。
人間は生物です。生物は自分を守ろうとする本能があるのです。すなわち、どうしても自分自身の考え方を肯定しようとしてしまうのです。特に、一人だけで考えて行動していると、真面目が故に、間違った考え方で数十年も突き進んでしまうことも多いのです。
自分自身を本気で怒ってくれる(矯正してくれる)のは、基本的には「親」だけです。だから「お金を払って」自分の方から、それを求めるしかないのです。これは楽器の演奏に関しても言えることです。◎工房に行き適切なアドバイスや調整を受けることで、自分の楽器の状態に自信が持てます。
◎普段からまめに調整をし、楽器の状態を常に良い状態に保っている人は、楽器の状態が少しでも悪くなったときにそれを敏感に感じることができるのです。例えば、きれいに掃除されている部屋ではゴミ一つでもはっきりわかるのに対して、散らかった部屋ではゴミが一つ増えても気づかないのと同じです。
調整によってさらに大きな楽しみを
様々な楽器が存在する中で、ヴァイオリン族ほど微妙な調整や修理を必要とする楽器は無いのではないでしょうか? 弾かないでしまっているだけでも、楽器は傷んでしまうくらいです。ヴァイオリン族はとても「金食い虫」なのです。楽器本体の価格よりも、トータルの調整代金や修理代金の方が高くなってしまうなどと言うことも、珍しいことではありません。
しかし逆の事も言えます。何も辛くてヴァイオリン(族)を弾いているわけではないからです。楽しいからこそ、そこまでお金をかけてでもヴァイオリン(族)を演奏しているのです。従って、たとえお金がかかってでもより「高度な調整」をし、そしてより「大きな楽しみ」を得た方がずっと得だと思うのです。
私も工房にいらっしゃるお客様に、こう言っています。「私の工房にいらっしゃるために使ったお金や手間、そして私の工房で使ったお金は一円たりとも無駄にはさせませんよ」と。これは、はったりでも何でもありません。