マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:ヴァイオリンはどのような材料で作られているのですか?

:私たち製作者にとってはあまりにも当たり前のことだったので、そう言われてみるとこれまでの「Q&A」に、この様な基本的なことは書いていませんでした。もっと初期の時点で書くべき事でした。
 ヴァイオリンに使用される材料は、主に「ヴァイオリン本体部分」、「部品関連」、「弓関連」に分けられます。部品の材料に関しましては、以前のQ&Aでも取り上げましたので、今回はヴァイオリン本体について述べたいと思います。弓関連に付きましてはまた後日書きます。
 なお、これらに付きましてはヴァイオリンだけの話ではなく、ヴァイオリン〜コントラバスまで共通の内容です。

ヴァイオリンに使用される材料

表板
表板の木材名
 表板はヴァイオリンの中で中心的な振動響板の役割を果たします。この目的から、軽くてしかし丈夫な材料が用いられます。ヴァイオリンの場合、針葉樹である「松」が用いられます。しかし「松」と言っても、「羽衣の松」のような松ではなく、日本の松で言えば「蝦夷松」のような真っ直ぐの幹をした樹です。正確には「ドイツ唐檜」、さらに正確に言えば「フィヒテ(ドイツ語)」という呼び方をします。英語では「スプルース」などと言ったりもします。
 「松」、「蝦夷松」、「スプルース」等という呼び方は馴染みのある言葉なので、多くの著書で見かける呼び方ですが、注意も必要です。それはその呼び方はあくまでも、「日本(英語)の樹木で例えるならば・・・・」にしかすぎないからです。樹木は産地によって堅さ、年輪の幅、重さなどの性質はずいぶんと違います。従って、「フィヒテ(ドイツ唐檜)」はあくまでも「フィヒテ」なのであって、それ以外の言葉で説明しようがないのです。これは「アマティ」という外国人を、「日本人に例えたら・・・」と言っているようなものだからです。
 上記の内容は何も能書きをたれているのではないのです。とても重要なことに繋がっています。それは「他の材料で良いヴァイオリンは作れないのか?」という、よくある問いに結びつくのです。この事はまた別の機会に書きたいと思います。
表板の性質
 さて、表板はドイツ唐檜からできているということを書きました。このドイツ唐檜の性質は、非常に軽い割に強度がとても高いということなのです。もちろん軽いだけの木材ならばバルサなどの材料もありますが、強度、堅さ(堅すぎると良くありません)も含めた上で考えるとこのドイツ唐檜が最適です。この性質はまさに振動板にもってこいなのです。この様な振動板として最適な材料は何もヴァイオリンだけではなく、ヨーロッパの様々な楽器に古くから用いられてきました。例えばピアノの響板も、張り合わせのものではありますが、このドイツ唐檜が用いられるのです。
 ドイツ唐檜のもう一つの特徴は「程良い柔らかさ」です。一見、柔らかいことは振動板としては良くないことに思えることでしょう。しかし程良く柔らかいことによって、非常に高い周波数成分が吸収され、心地よい音色となるのです。
 例えばアジアの松は比較的堅い傾向にあります。従って国産、または中国産などの松材を利用したヴァイオリンは、比較的甲高い音色になりやすい傾向にあるようです。これは私の師匠の無量塔藏六(むらたぞうろく)氏が言っていたことですが、コンクールなどの短期評価においては、この様なアジアの松を使用した楽器の方が音が堅く、瞬間的な受けが良いこともあるという事です(もちろんコンクールは音色審査だけではありませんが)。しかし、この様な楽器は長時間弾き続けると、音色がきつすぎて疲れてしまうのです。
表板の外見
 表板の外見の特徴は、細く平行にはしった木目です。これは針葉樹に特徴的な外見です。さらに詳しく観察すると、この木目の幅、太さにも違いがあります。一般的に、木目の間隔が狭く、そして木目自体が細い表板はとても強く、その材料を使用して作られた楽器はカチッとした音色になる傾向にあります(他の材料の条件が同じ場合の話です)。
 一方、木目自体の幅が太くそしてぼやけていて、間隔も広い表板は柔らかい傾向にあります。このような表板を使用した楽器の音色は、やはり柔らかい傾向になるのです。一般的に高級とされる表板は前記のような目の細かい松材です。しかし、あえてこの様な年輪幅の広い松材を好んで使う製作者も多くいます。
裏板、ネック
裏板、ネック材料の木材名
 裏板とネック材には基本的には同じ種類の材料が用いられます。これは広葉樹の「楓材」です。しかしこれも単純に「楓」というと誤解を生じる危険性がありますので注意してください。ヴァイオリンに用いられる楓材は、ボスニア地方に生息する楓材です。この樹木の現地の名前を私は知りませんので、正確な呼び名を書くことはできません。「ボスニア地方産の楓材」という事で勘弁してください。この樹木は、日本の楓で例えるならば「イタヤ楓」になります。ドイツ語では「アーホルン」、そして英語では「メープル」となります。
 時々、「ネック材と裏板の楓材は異なる種類の楓材を用いる」という記述を見かけますが、これは全てとは言いませんが、間違っていると言ってよいでしょう。というのは、基本的には裏板もネック材も同じ種類の楓材が用いられるのです。しかし、良質な楓材は裏板用に回され、ネック用の楓材はもっと質の低い別の産地の楓材が売られることも多いのです。この様な種類のネック用木材を購入した場合、明らかに裏板の楓の種類とネック用のそれとが異なってしまうのです。もっとも、異なっているからといって主な害はありませんからあまり神経質になる必要はないでしょう。
裏板、ネック材の性質
 楓材の外見的な特徴は、美しく燃える炎のような「虎杢」です。この模様のおかげで、ヴァイオリンは単なる実用品としてのみならず、芸術的な雰囲気さえもかもし出しています。しかし、この「杢」はヴァイオリンにとって必要不可欠というわけではありません。というのは、裏板は楽器の振動板(発音響板)としての役割よりも、表板の振動をサポートする土台としての役割が強いからです。従って「杢」の有無が、決定的に楽器の音色を左右するということはありません。もちろん杢によって裏板の性質は異なり、それは音色に影響することは間違いないことです。しかし杢の派手さほどの音響的な変化はないのです。
 裏板の性質を考えるときには、一番目に付きやすい「杢」以前に、木材そのものの堅さなどを見るべきです。そちらの方の影響の方が大きいからです。事実、裏板には楓材以外にもポプラなど別な木材を利用した楽器もありますが、きちんとヴァイオリンの音がします。
 さてボスニア地方の楓材の特徴は、杢が深い割には比較的柔らかいというところにあります。このためにヴァイオリンにおける非常に高い周波数成分が吸収され、とても美しい音色が生まれるのです。例えば「杢の深さ」などだけからいえば、何もヨーロッパから高いお金をかけて楓材を輸入しなくても、綺麗な楓材は国内、中国などから手に入れることができます。しかし、この様な楓材は非常に堅いのです。
裏板、ネック材の外見
 最近は良質な楓材が少なくなってきています。特にコントラバスやチェロ用の大きな良質の楓はずいぶんと少なくなってしまいました。そこで最近はカナダ、アラスカなどの楓材も用いられることが多くなってきました。この楓の特徴は、杢は深いのですが材質が若干堅いということです。しかし、使用に耐えられないというような違和感があるわけではありません。かなり専門的な内容になりますが、ボスニア地方の楓材が白っぽく、木目がとても繊細なのに対して、カナダ、アラスカの楓材の特徴は、赤っぽく(白っぽいのもあります)、そして木目が粗くはっきりと見えるという外見上の違いがあります。
指板
指板の材質名、特徴、外見
 指板には「黒檀」を利用します。英語では「エボニー」、ドイツ語では「エーベンホルツ」と言います。この黒檀の特徴は非常に堅くて、重いことです。従って、指板の様に絶えず弦を擦り付ける部分においても耐久性が高いのです。この黒檀にも種類があり、良質な黒檀はアフリカから採取されると聞きます。最良の物は、既に枯れて倒れて土の中に長く埋まっていたのを掘り起こした物だと聞いたことがあります。この様な良質な黒檀は、真っ黒の色をしていて、非常に目が詰まっています。磨くと表面に艶が出て、「木材の宝石」といっても言い過ぎではないでしょう。
 しかし上記のような最良の黒檀は非常に少ないのです。従って中級の黒檀としては、アジア原産の「縞黒檀」が用いられます。この縞黒檀の特徴は、若干茶色っぽい色をしていて、白っぽい縞模様が入っていることです。前記の良質黒檀に比べると柔らかく、表面に艶も出ません。茶色い色をしている「紫檀(ローズウッド、パリサンダー)」とは別物ですので注意してください。
 低価格の量産品においては「黒檀」とは全く異なる軟らかい木材に、単に黒い色を塗って使用することも多いです。この様な指板はすぐに磨り減ってしまいます。また指板を削って反りの調整をしようとしても、削った部分だけが白く元の木肌が出てしまいます。色を塗り直せばよいのですが、その手間の問題、または一部分だけ塗り直しても、その他の部分と色(艶)が異なってしまうために違和感が出てしまう等、面倒な問題が起きるのです。この様なことから、色の塗っている指板は調整されないままのことがほとんどなのです。
木材の入手方法
 ヴァイオリン製作者が上記の木材を仕入れる場合、なにも原木を探しに出かけるわけではありません。例えば、「ストラディヴァリは森に入って、樹を叩いてその響き具合から木材となる樹を伐採した」というような記述を見かけますが、私は疑問です。というのは、一般的に木材は工房の近所に生えているわけではありませんし、また伐採、運搬するためには高度な専門の技術を必要とします。従ってヴァイオリン製作者のような素人が、簡単にヴァイオリン用の木材を採取できるわけがないのです(ヴァイオリン用の木材はかなりの大木です)。
 また300年前の当時から、木材伐採、運搬業など様々な分業が進んでいました。従って、ストラディヴァリは木材卸業者の所で叩いて選別はしたでしょうが、森に入ってというのは誇張表現だと思います。
 余談ですが、私がドイツにいたときにカントゥーシャ氏の取材でハイビジョン・テレビ取材(日本でも放送されました)がありました。この中で、カントゥーシャ氏が雪の中、樹木を選んで伐採するというシーンがありますが、これは全くの「やらせ」です。人の良いカントゥーシャがテレビ取材チームの提案にのせられて、ひょこひょこ出かけてしまったのです。以前はミッテンヴァルトの周辺に良質なドイツ唐檜がたくさん生えていたので、この様なことが全く不可能というわけではないのですが、先にも言いましたように、ヴァイオリン製作者のような素人が直接樹を伐採するメリットは一つもないので、この様なことは行われません。ヴァイオリン製作者は、木材卸業者と親身につきあって、そこで良質な木材を購入するのが習慣なのです。
 現代においてはヴァイオリン・ギター製作用の専門木材卸店があり、我々製作者はそこから購入しています。この「木材店」には2種類あります。それは原木を直接仕入れて自分の所で製材している木材店と、そこから仕入れて、さらに寝かせておいて商品価値を高めてから販売する木材店です。前記の木材店は、木材店と言うよりは「製材所」に近く、慣れていなければ購入することは難しいです。またいつ行っても良い商品が並んでいるというわけではありません。しかしきちんと選べば、値段は安く購入できます。
 一方後記のような木材店は、木材の乾燥がある程度はすんでいたり、または木材が厳選されていたりしています。欠点としてはその手間の分だけ、値段が高いことでしょう。どちらの木材が良いとか悪いとかではなく、木材を購入する店によっても木材の値段はこのくらいバラツキがあるということを言いたかったのです。
 ちなみに、値段的に一番高価なのは裏板用の楓材です。ヴァイオリン用の木材の場合、先の製材所で「生木」を購入した場合の話ですが(1997年時。最も安価な購入ルートの場合)、安い物では数千円から、高い物になると3〜6万円くらいになります。これが数十年の乾燥を経た木材になるとその価格も断然高くなります。数十年〜100年位寝かせている極上物の楓材は、製作者にとって宝物に等しく、値段は付けられないと言ってもよいほどなのです。
 最後にヴァイオリン製作用の木材の写真を付け加えておきます。

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