マイスターのQ&A
ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
Q:年に一回毛替えをする場合には、どの時期が最適ですか?
A:これまで何度も述べていますように、気候的な変化、楽器の健康診断といった意味から言えば、年に2回の毛替えのペースが最善です。しかし、様々な都合から年に一度くらいのペースでしか毛替えをできない場合もあります。そのような場合には、きちんと時期を考えて毛替えをすると効率的なのです。
- 毛のバランスの崩れの要因
- 毛替えをする理由は、毛の傷み、汚れ、バランスの崩れ、毛の長さの乱れなど様々な要因があります。しかし、毛の汚れ具合や傷み具合は、各演奏者の癖などによってかなりの違いが出ますので、こればかりは実際の毛の状態を見て判断するしかありません。
しかし、年に一回の毛替えにおいて、毛の長さ(伸び縮み)に影響する要因は、毛替えの時期を考慮することによってコントロールすることができるのです。
毛の長さの乱れに影響する要因は「湿度の変化」と「クサビ(毛止め)の遊びが詰まるため」です。例えば、精密湿度計には「毛髪」が使われているように、毛は湿度に対して非常に敏感に伸び縮みします。従って、冬季の乾燥期における毛の長さと、梅雨時期の多湿期における毛の長さとは全く違ってきます。詳しく計測したわけではありませんが、5〜6mmは違ってくると思います。
また下図のように、演奏する度に毛が引っ張られて、クサビ部分の遊びが詰まっていきます。すると毛の長さは見かけ上長くなるのです。この度合いは毛替えの技術などによっても違ってきますが、理論上0にする事は不可能ですので、多かれ少なかれ伸びてしまうのです。通常の場合で1〜5mm位は長くなるでしょう。
- 2要因の変化
- 下のグラフが「季節(湿度)による毛の伸び」と「クサビ部分の遊びの詰まり」によって起こる毛の伸び具合をグラフ化したものです。このグラフはあくまでも伸び具合のイメージを表現したものであり、数値に厳密的な意味はありませんので注意してください。
- 湿度による毛の伸縮グラフ
- 下のグラフは、東京の1997年の年間湿度を参考として、毛の伸び縮みをグラフ化したものです。実際には部屋の空調の影響が大きいので、冬季の瞬間的な乾燥具合は更に複雑になります。
- クサビの遊びの詰まりによる変化グラフ
- 下図は、クサビの遊び部分が詰まってきて、毛の見かけ上の長さが次第に長くなっていく様子をグラフ化したものです。
- 毛替えを冬(乾燥期)に行った場合
- 下図は毛替えを冬(乾燥期)に行った場合の毛の伸びをシミュレーションしたものです。紺色の折れ線グラフが、先に述べた2要素を総合した、「毛の総合的な伸び」になります。この場合には、梅雨時から夏にかけて、毛の長さは大幅に長くなってしまいます。これでは毛は長くなりすぎて、使い物にならなくなってしまいます。このような毛の長い状態で使用し続けることは、単にバランスが悪いだけでなく、下手をすると弓竿を傷めてしまうのです。
- 毛替えを梅雨時期に行った場合
- 下グラフは、毛替えを梅雨時に行った場合の毛の伸び方のシュミレーションです。紺色の折れ線グラフは、上のグラフ(冬の毛替え)とは異なり、変化の割合は小さくなっています。これは毛の伸び縮みがほとんど起こらず、毛替え時の初期性能を保ち続けているということを示しています。
ちなみに、「クサビの遊びによる伸び(赤色の折れ線)」と「湿度変化(黄色の折れ線)」のデータは、上のグラフと全く同じものを利用しています。
- まとめ
- この様に、全く同じ「クサビの遊びによる伸び(赤色の折れ線)」と「湿度変化(黄色の折れ線)」の条件下においても、毛替えの時期が変わると、その2要素の組み合わせも様々になります。
そして年に一度の毛替えの場合には、梅雨時の毛替えがもっとも理想的と考えられます。しかしこれはあくまでも、「毛の伸び」だけを考慮した結論です。実際にはその他にも様々な要因が考えられます。従って、この結果だけで毛替えの時期を決定できるわけではありません。あくまでも一つの目安と考えてください。
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