楽器の振動モードと、ヴォルフ音との関係
2000.3.11 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
詳しくはQ&Aの「ヴォルフ音とは何ですか?」の項目に書いていますが、ヴォルフ音とは楽器の持つ振動モードと、弦の振動との唸りによって発生する音です。一方、楽器の持つ振動モードはたくさんあります。原理的には無限の数だけあるとも言えるのです。従って、単純に考えると、ヴォルフ音もそれらの全ての振動モードとの間において、唸りとして発生するはずです。しかし現実には、チェロの場合にはf〜fis音(180Hz)付近においてヴォルフ音は発生します。この理由は、楽器の各モードの振動パターンと、駒の振動との関係によって、ヴォルフ音は出たり出なかったりするからなのです。
- 空洞共鳴モードのパターンと、駒の振動
- ヴォルフ音は、楽器の持つ振動モードとの唸り(干渉)によって発生します。そして一方、楽器の振動モードの中で最も強いものは、かの有名な「空洞共鳴モード(ヘルムホルツ共鳴モード):注1」です。従って、ヴォルフ音がこの共鳴モードとの干渉によって発生していると勘違いしている人が多くいますが、これは間違いです。チェロの場合、空洞共鳴モードは約100Hzですが、ヴォルフ音はもっと高い180Hz付近で発生するからです。
なぜ楽器の持つ共鳴モードの中で最大の空洞共鳴モードが、ヴォルフ音としてほとんど悪影響を示さないのかといいますと、それは空洞共鳴モードの振動パターンが駒の振動と干渉しないからなのです。次の図の上側が空洞共鳴モードでの表板の振動です。この空洞共鳴モードはもっとも低く、単純な振動パターンであるために、表板の振動は大きく上下に動くと考えられます。一方で、駒は弦によって回転運動のような往復運動をします。従って、この二つの振動は全く異なっているために干渉しないのです。すなわち、唸り(ヴォルフ音)も発生しません。雰囲気としては、トランポリン上でゆっくりと上下に揺れながら、両脚で足踏みをする感じです。これは特別難しいことではありません。
注1:正確には、空洞共鳴とは胴体の容積とf孔の大きさのみが影響するような内部共鳴です。しかし実際にはf孔の断面、表板や裏板の二次振動も影響しています。この様な振動の場合、純粋な意味での空洞共鳴ではありませんので、「f孔共鳴」と呼ぶことが正しいようです(Lother
Cremer著、The Physics of the Violin参考)。
- ヴォルフ音の原因となる振動モードと、駒の運動
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次はヴォルフ音について考えてみましょう。私はヴォルフ音の振動パターンを、レーザーホログラム等で実際に見たわけではありませんので、あくまでも仮説ではありますが、ヴォルフ音の原因となる振動モード(約180Hz付近)の振動パターンは図の下図のような、左右交互の振動をしていると考えられるのです。表板のこの様な振動は、駒の振動と非常に似ています。従って、お互いが干渉を起こすわけです。
理解しやすいように、具体的にな例を挙げて説明してみましょう。弓でf音(175.4Hz)を出そうと駒を振動させたとします。こうすると、f音の周波数に近い180Hzのモードが励起してしまうのです。しかし、これだけではヴォルフ音は発生しません。ところが、励起したモードの振動パターンが駒の振動に似ていると、表板の方が逆に、駒を180Hzで振動させようとするのです。そしてこの175.4Hzと180Hzとの二つの周波数の唸りによって、ウォン・ウォンというヴォルフ音が発生するのです。また、弦を175.4Hzで振動させたところ、楽器本体から180Hzの反発が戻ってきます。このためにヴォルフ音においては弓がはじかれる感じがするのです。これは例えば、「三輪車をこいでいたところ、坂道になって、自分の想像以上のスピードとなってしまい、ペダルから足がはじき飛ばされてしまった」、という感じでしょうか。
- それ以外の振動モードと、駒の運動
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上記では空洞共鳴モードと、180Hz位のヴォルフ音の原因となるモードについて説明しました。そしてこれら二つのモードに共通する事は、「基本的な単純な振動パターン」です。一方、これら二つのモード以外の無限数存在する振動モードの場合、振動周波数が高くなるために、その振動パターンも複雑化します。あるものは非常に細かな振動であったり、またあるものは局所的な振動であったりします。この様な振動パターンの場合、駒の運動と干渉しにくいのです。また、たまたま干渉したとしても、その周波数帯が高いために、ヴォルフ音としてはほとんど感じません。それは「何となく音が出にくい」くらいに感じるのです。この様に、「それ以外モード」でも原理的にヴォルフ音は発生しますが、あまり神経質になる必要はないでしょう。
- 弦の剛性との関係(ハイポジション、弦の種類)
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さて、ヴォルフ音の発生メカニズムに関しての原理を書いてきました。そして、チェロの場合は、モードの振動パターンの影響で、「たまたま」f音〜fid音位の音域でヴォルフ音が出てしまうのです。そしてそのヴォルフ音を更に細かく観察すると、2番弦の1ポジションで演奏したときよりも、3番弦のハイポジションで同じ音を演奏したときの方が目立つことに気づくはずです。これは、弦の「剛性」の問題です。
2番弦の1ポジションを弾いたときは、弦長は長く、そして弦の直径も細いです。この様な弦は「理想弦」に近く、また弓によって引っかけやすいのです。一方で、3番弦をハイポジションで弾いたときには、弦長は短く、その上に弦の直径は太いです。この様な弦は「理想弦」からはほど遠くなります。また剛性が高いために、弦を弓で引っかけにくくなるのです。これは普段ならば、弓への圧力などの演奏技術でカバーできます。しかし、それがヴォルフ音の帯域の場合、胴体からの微妙にずれた反発によって、弦から弓がはじき飛ばされてしまうのです。これはすなわち、「酷いヴォルフ音」ということを意味します。
またこの原理と同じ意味で、弦の種類(剛性、直径)によってもヴォルフ音の感じ方は異なってきます。一般的には剛性が弱く、直径の小さな弦の方がヴォルフ音は感じにくいのです。具体的な例を挙げれば、「ガット弦」や「ドミナントなどのナイロンガット」、または「ヴァイヒ弦」等の柔らかい弦です。しかし、これらの弦ではヴォルフ音以外の音も弱くなってしまいますので、「ヴォルフ音対策」にはならないでしょう。